Twitter新企画「#名字に良く使われる漢字40選」は、こうして生まれた!

私は、Twitter、Facebook、Instagramをやっていますが、各SNSに同じ内容を投稿することも度々あります。

元々、各SNSで繋がっている人達が全く違う…ということもありますが、私の場合「いいね!」やRT、シェアが多いのは、以下のような内容。

Twitter趣味・地元ネタ
Facebook個人アカウント作品の写真やレッスンの様子
Facebookページ全体的に反応薄め
Instagram楷書・行書や作品の写真(特に海外)

SNSによる反応の違いは面白いんですが、それぞれの特徴をもっと上手く生かす方法はないだろうか…と常日頃から考えていました。

一方で、何か新しいことをしたい!という気持ちはむくむくと湧いていました。形にしたいなぁと思っていたのは以下の3つ。

①自分の名前を気軽に練習できる方法を提供したい!

ご祝儀袋へお名前を書くレッスンで、生徒さんが「この部分が苦手」と言っている字や、 名前の添削でつい「ココのバランス悪くて残念…」と思ってしまう字には、共通点があります。

そこで昨年
・名字に良く使われる漢字 40個
・男性の名前に良く使われる漢字 20個
・女性の名前に良く使われる漢字 20個

を選んでペン字のお手本を書き、バランスを崩しやすいポイントをまとめていましたが、レッスンで使うきっかけがないまま放置…。

②以前バルセロナでやったあの企画を復活させたい!

3年前にバルセロナへ一人旅をした時に、路上でやったこの企画。外国人の反応がとても良かったので、海外向けコンテンツとしていつか動画で復活させたいと思っていました。英語できないけど…。

でも、頭の中でぼんやり思ったまま、これも放置。

③YouTuberになりたい!

というと大げさですが、動画コンテンツを作ろうと思っていました。字を書く時は、形だけではなく、スピード感・リズム感も大事なので、書いている様子は画像よりも動画で見せた方が良いはずというのがその理由。

また、最近、お悩み解決の検索はGoogleよりもYouTubeという話も良く耳にしていました…で、先月1000円位のスマホスタンドを買ったのですが、 キレイに動画を撮る方法も分からんし、いきなりYouTubeはハードル高いかも…と、これも何となく放置。

と、何一つ実現できていない状態でした。

そんな時、Twitterのタイムラインに飛び込んできたのが、
かさこさん主催、Twitterフォロワー10万人のパーソナルトレーナー柴雅仁さんによるお話会。

かさこさんは、1000名超のリアル&オンラインサロン「好きを仕事にする大人塾=かさこ塾」を主宰。

柴さんのフォロワー10万人は数か月で増えたそうで、 フォロワーを買わずに(笑)短期間でここまで増やせるってどういうこと!?

これは何かヒントが得られるかもしれない!と、即申し込みました。

二人合わせてフォロワー13万人という最強コンビに、いくつかのコツを教えていただいたのですが、特に響いたのが

・定期的にお悩み解決のツイートをする
・Twitter映えする画面の見せ方をする
・動画を活用する


ということでした。

…これで私の悩みが全部解決する!!!

と思い、帰宅後すぐ、お話会で紹介されていたアプリで動画撮影&編集をして、柴さんのTwitterの見せ方を参考にしながら公開したツイートがこちら↓

https://twitter.com/metokihakuju/status/1131473506061901824

お二方がRTしてくださったおかげで動画は16,000回以上再生され、翌日から新企画をスタート。

今のところ1日1本ペースで動画を更新していますが、この1週間でフォロワーさんが6倍近く(400人→2300人)にまで増えております(驚)

急な展開で驚いていますが、温めていた企画がやっと日の目を見ました。
今の仕事を始めて3年。少しずつ蓄積してきたノウハウを大きく育てるきっかけが出来たことに本当に感謝しています。

かさこさん、柴さん、ありがとうございました!

只今Twitterで絶賛公開中!
#名字で良く使われる漢字40選
是非チェックしてみてください!

この後は
#男性の名前に良く使われる漢字20選
#女性の名前に良く使われる漢字20選

もちろんやります!

その後には、バルセロナのあの企画の復活も!?

【母の日に寄せて】思い出補正の罠~過去と上手く付き合うこと~

成績が良く、学級委員的な役回りをすることが何かと多かった幼少期。
今になって、私の幼少期を母と振り返っても、「いわゆる『手がかからない良い子』の類いだったかもね…」などと話すのです。

 

でも。

先日帰省した時に、母から見せられた私の作文。たぶん、小1の頃の母の日に書いたものなのだけど、

おかあさんは、おこる時すごくこわいから、もうすこしやさしくして下さい。
せんたくは、このごろやっていないでのんびりしているから、やったほうがいいとおもいます。
ごはんのしたくも、下しゅくしている人につくってあげたり、わたしたちにもつくってあげたりしていそがしいですね。
こんどからもずっとながいきして下さい。

 

…いや、ちょっと待て。これはひどい。我ながら本当にひどい!

これを見た後、家族でゲラゲラ笑いながらも、「ごめん!本当にごめん!」と母に謝罪をしたのは言うまでもないのですが、この文面見た限り、「良い子」のカケラも無いし、私たち母娘の「思い出補正」も大概だなぁと。

大人になってからの今の私が、色々と頭を働かせてみると、「子供が母の日に書く作文」のイメージは、「おかあさん、ありがとう!」で締めるのが定石なのでは?とも思うので、この、

「えっ?何?親にそんな忖度なんて要る?」

みたいな文章を見て、「あんた、面白いこと言ってるわー!」と昔の自分に喝采を浴びせつつも、今の自分が昔の自分をちょっと信じられなくなったりして。

なぜ「ありがとう」の一言が言えないのか。その言葉を言えるように教わっていた気がするけど、教えたはずの親に使わないってどういうことだ。こういう時こそ使うんだろうに…。

やれ「洗濯してない」ってダメ出しするとか、指でスッとテーブルをなでながら「あら、あなた、ちょっとゴミがありますわよ!」とか言ってる姑かっ!どんだけ上から目線なんだ!

そもそも「良い子」という定義は何だろう…。親の言うことを素直に聞いていることが、果たして「良い子」なのか。これって、親にとっては「叱らなくて済む」というだけで、ただ「親にとって都合が良い子」なだけでは?

外で起きた出来事を家族に報告したり、その時の気持ちを話す方ではなかったので、(小さい頃は、外で起きた出来事や問題を、誰かと共有するという考えを元々持っていなくて、そういうことは自分の中で処理するものだと思っていたので、「今日○○があって…」とか、家族に報告したり相談する意味が分からなかった)作文が、自分の気持ちを表すハケ口になっていたのかしら?

などなど、様々な思いが過ぎりました。

 

この作文を書いていた当時(今から35年程前)、実家の向かいにあった祖母宅では下宿屋を営んでおり、そこには、ビーバップハイスクールから飛び出てきたようなビジュアルをした、短ラン&ボンタンを着た高校生のお兄さん達が数名住んでいました。

母は、私たちを育てながら下宿屋を切り盛りしていたのですが、朝晩2食+昼弁当を毎回作り、親元から離れて暮らすビーバップな彼らを母親代わりとして面倒を見たり、たまにやんちゃなことをしてしまう彼らを叱ったり…と、それはもう忙しい日々。

私も、たまーに手伝いをした記憶がうっすらあるのですが、とにかくビーバップなお兄さんたちが怖かった思い出しかない(苦笑)

それを母がやっていたのは、今の私よりも若い頃の話。私には絶対できない…。

「大人になったら分かる」という言葉は、大人がすべて正義みたいな言い回しをして子供をマウンティングしているようで、あまり好きではないし、今、私が「母親」という立場ではないから、そういう意味では「分かってない」ことが多いのだけど、とは言え、自分は到底できることではないので、頭が上がりません。

なのに、娘が書いた作文がコレってどうよ。よくブチ切れなかったなぁ、母よ。

確かに母はこわかったのだけど、こういう作文や感想文、絵、習字などの創作系で怒られた記憶はないので、表現に対しては寛容だったのだと思います。(これは「思い出補正」してないはず…)

当然と言っちゃあ当然だけど、子供の頃の記憶って本当にあいまいなもの。特に私は昔のことを覚えている方ではないので、分かりやすい「肩書き」や「結果」「事実」だけを見て、都合の良いように自分で「良い子」補正を勝手にかけていたんじゃないか…という気がしてきました。

あとで家族に聞いてみると、

「あんた、作文は、結構手厳しいことも何でも正直に書いてたよ」という証言もあり、忖度なしに思ったことをズバズバ言える「正直さを持っていた」という意味では「良い子」だったのかもしれません。

 

奇しくも、年明け最初のブログで、今年の目標に

「大したことない」と、つい蔑ろにしてしまいがちな気持ちや出来事に改めて着目すること
その気持ちや出来事を、素直に自分の表現として昇華させること

と書いていたのですが、今まで、「子供というのはこういうもの」「大人というのはこういうもの」という見方をしている部分が多かったんじゃないか、フィルターに通しすぎ、オブラートにくるみすぎなことが多かったんじゃないか、と感じています。

自分の書道の表現でも今問われている部分ですが、いかに生身の自分を出せるか、自分に正直でいられるか?というテーマに対して、良いヒントをくれたような気がしています。昔の自分、ありがとう。

 

「思い出補正」といえば、「昔は良かった」的なことを言って、思い出を美化してるようで、実は過去にとらわれて未来を憂いているだけで、結局はただの現状に対する不満を述べている…というイメージもあるけれど。

思い出のどこにフォーカスするかが重要で、「昔は良かった」とか、逆に「アレが嫌だった」いうところだけに注目するのではなく、今と昔は当然違うけど、過去の経験を糧にして、自分の人生をより豊かにする方法を考えることで、気分が良くなったり、自己評価を上げたりすることが出来るんじゃないかなぁと。

自分自身を成長させるためなら、「過去の思い出と上手く付き合う」ためのツールとして「思い出補正」を使っても良いのではないかと思っています。