出来ることなら、自分の作品が名だたる美術館に所蔵されるのをこの目で見てみたい!(生きているうちに)

あまり個人的に残念なお知らせをブログに載せることはないですが、自分を奮い立たせるためにもあえて。

本日、日本初の現代アート書道専門のアートフェア「ART SHODO TOKYO」の審査発表があり、数点出品していたのですが、残念ながら落選しました。

私は書道を生業としてからまだ2年弱ながらも、そもそも、日本にあまり浸透していないアートの分野で、一般的に思われがちな「たぶん綺麗で上手なんだろうけど、良く分からない」という状況を脱却して、日本の書道を世界に発信するにはどのようなアプローチが良いものか…と、常に思っていました。

そんな時に知ったのが、このアートフェア。

書道界にある様々な謎の風習やしがらみの一切無い、現代アートという切り口で真っ正面から挑むイベント。まさにこれだ!と思い、即エントリーしました。

とは言え、現代アートという分野を全く知らなかった私は、その歴史から、表現するコンセプト等々、勉強を開始。

始めて3ヶ月程ではありますが、この期間に、今までとは全く毛色の異なる作品や、これから長い時間をかけて大事に暖めて行きたいラインナップも増えてきました。これは本当に大きな収穫です。

そして、何よりも、自分の作品がこうなったら嬉しい!という目標がより具体的になってきました。

先日行ったニューヨークでも、オークションハウスの「クリスティーズ」の横を通った時には、私が死んだ後に作品の価値が上がっていたら嬉しいだろうなぁ…と思い、MoMAやホイットニー美術館に行った時には、私が死んだ後にここに作品が所蔵されたら、私が霊になっていても絶対嬉しい!と、ニヤニヤしていました。

 

そう、妄想はタダ。妄想上等!

 

先日、作品を買ってくれた友人と酒を酌み交わしていた時にも、こんな会話が。

「私が死んだ後に、○さんがお宝鑑定的な番組に私の作品出してさ、

『この作品は目時さんが41歳の時の作品なんですが、私が購入した後に、お酒を飲みながら目時さんと『私が死んだ後、この作品を鑑定番組に出してたら超ウケるよね!』なんて話してたんですよ云々…』

というエピソードとか話してたら、面白くない?」

「あー、在りし日の目時さんとの面白いエピソードを懐かしそうに語ったりしてね」

「あ、もし鑑定金額が高かったら、別に売ってもいいよ」

「いやいや売らないって!…ていうか、何で、目時さん死んでる前提?笑」

と、まぁ、ちょっとしたバカ話で盛り上がったことがありました。

死後評価されたゴッホの話が頭にあるからか、妄想もバカ話もなぜか、私が死んでることが前提(笑)

アートが浸透していない日本で、作品が評価されて世で認められていくのには相当な年数かかるだろうという思い込みで、何となく私が死んでる前提になっていたのですが、本当は生きてるうちに、自分の作品がこのような状況になったら嬉しい!

今回の結果が出たすぐ後は私もへこみまして。ツイッターにこんなことも書いている時には、だいぶ復活しておりますが、

一晩明けて、今日は、むしろ書道の新時代の幕開けにテンションが上がっています。
次回は秋開催予定とのことで、またチャレンジします!

「ART SHODO TOKYO」の展示は、4月28日から30日まで、三鷹市芸術文化センターにて。
詳細はこちら

世界に打って出る現代書道アートがどのようなものか、この目で見られるのが今から楽しみです。

 

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恵比寿神社付近之繪圖(A old map, the vicinity neighboring Ebisu Shrine)
今回エントリーしていた、建物名や家主の名前が書かれた地図ではなく、その場所にどんな目的で集い、どんな営みが繰り広げられているか?という視点を元に、古地図風に再現。今後バリエーションを増やしていきたいラインナップの一つです。

年齢とは単なる数字だけど、年の数だけレベルアップしていきたい。

本日42歳になりました。

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今日はさすがに誕生日なので、自分が何歳になったのかは分かっていますが、周りの人と年齢の話になる度に「あれっ?私、何歳だっけ?」と、本当に分からなくなることがあります。

「それって、わざと年齢言いたくないんでしょ?」
「年ごまかしたいんじゃないの?」

いうことではなく、自分が何歳かを気にしていないので、本当に分からなくなるのです。40代前半というのは認識できているので、年齢を聞かれたときは、41歳〜43歳辺りをウロウロ…。

元々「あー、年を取りたくないなぁ…」と思ったこともあまりないし、年齢を聞かれても躊躇せずサラッと答えます(前述のように、普通に間違ってしまうことはありますが)。

もちろん、年齢を聞かれて、

「何歳だと思う~?♡」

なんていうこともしません。(←これが自然に言えるような人間になっていたら、もっと私の人生が変わっていたかもしれない 笑)

「年齢は単なる数字にすぎない」

という言葉を度々耳にします。

これを最初に言ったのが誰かは分かりませんが、「年齢は単なる数字」と、Google先生で検索すると、一番最初にこちらが出てきます。

英語のことわざ【年齢は単なる数字】

年齢は成熟を保証するものではない  -ラワナ・ブラックウェル(アメリカの作家)

確かに。

10歳でも成熟した考えを持った人もいれば、20歳で自ら命を落としてしまう人もいる。
50代で投げやりな生活を送る人もいれば、60代で新たな挑戦をする人もいる。

前のブログで、作者は、作品に生き様が100%表れているかを見られているということを書いたけど、

「何年生きてきたか」ということよりも
今まで&これから「何を経験して、何を感じて生きていくのか」

ということが大切で、成熟した人生を送るためには、幸せの照準を、自分が思う方向に常に合わせられているかを意識する必要があると思っています(←これは、度々私も忘れちゃうことがあるので、自分への戒めのためにも言っている)。

以前、ある方に、

「あなたは、あなたの人生を生きていい」

と言われたことがあるのですが、何か迷った時、例えば、

親や大切な人が思う幸せ像につい合わせていないか?
世間一般(という曖昧模糊としたもの)で言われている幸せ像に踊らされていないか?
自分の幸せの鍵を他人に預けっぱなしにしていないか?

ということは、冷静に見ておきたいところ。

テレレレッテッテッテー(・∀・)は、ドラクエのレベルアップ音ですが、死ぬまでレベルアップし続けられるような生き方をしようと思います。

大切な友人や仲間、多くの人の応援があって、書道を存分に出来る環境にあること、本当に感謝しています。ありがとうございます!

【ニューヨークひとり旅~ほぼ弾丸旅行記 その2】「誰とも似ていない自分」を出すことの難しさ

今回の渡米の目的は「JCAT」グループ展「JAPANISM」のレセプション参加でしたが、作品を出品するだけではなく、実際にニューヨークまで行ってみようと思ったのは、

1) アートやエンターテインメントが文化としてどのように根づいているのかを肌で感じたい

2) 日本で、書道をアートとして根づかせるためのヒントを探りたい
3) 私のことを全く知らない人が作品を見た人の感想が知りたい

 

というのが主な理由でした。

特に、自分の作品は海外でどのように見てもらえるのか?、アートという土壌が豊かなニューヨークで、日本の「書道」はどのように見えるのか?ということに関心がありました。

日本人にとっての「書道」は、授業や習い事としてもありますし、作品を鑑賞する機会もそれなりにありますから、多くの人は何らかの経験値や先入観があります。

特に現代の日本において「作品を鑑賞する」ことは、旅行で泊まった和室で見かける掛け軸や、大きな展覧会で見る作品が、

「すごいものを書いてるんだろうけど、正直何て書いてるか分からない」
「何か似たような作品が多くて良く分からない」

という状況で止まっていて、

「作品として好きかどうか」とか「この作品が欲しい」というところまでも達していない

…という一面があるのも事実。

自分の作品で、日本らしさを残しつつも、その「よく分からない」域を出るために必要なことは何だろう?ということは常に考えていますが、そんなネガティブな要素もふまえた上で、もしかしたら、その「よく分からない」域を出るためのヒントが、先入観のない海外の人に見てもらうことで少し分かるかもしれない…と思ったのです。

今回、ニューヨークに持って行った作品は二つ。

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左:黙(Silent)
右:和(Spirit of Harmony)

日本で昔から脈々と受け継がれている「和の精神」、そして禅語の「黙」を書きました。これらの言葉から掛け離れてしまった今の社会状況や、今後ありたい人との関わり方を表現しています。

レセプションにいらしていた方々とお話させていただいて、まず思ったのは、形がどうこうというよりは、

なぜこのような表現をするのに至ったのか?

という理由や、作品に対する思いを知りたい方が多かったこと。

なぜ書道を始めたのか?
どのように習っていたのか?(先生がいたのか、独学なのか)
途中でなぜ書道を辞めたのか?

かなり細かくお話することが多かったです。

作品を見てくださった方々は、

作者がどんな人生を生きてきたのか?
その生き様が作品に表れているのか?

ということを知りたいと思っていて、作者は、生き様が100%作品に表れているかを見られている…というか、試されているような気がしました。

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一方で「書道」としての見た目の部分。今回、「黒一色・一文字」の表現で挑んだのですが、まず感じたのは、

どうやら「黒一色・一文字」表現は、誰が書いても似たような表現に見えていたようだ

ということ。

これは、完全に私の技量の問題もあるのですが、他に出展されていた書道のアーティストさんの作品についても、

「これもあなたの作品?」

と何度か聞かれました。私から見ると、書体が全く違うものだったので区別がついている…と思っていたのですが、人によっては、結果同じように見えてしまっているということに「そうかぁ…自分らしさが出せていないのだなぁ…」と痛感しました。

私の表現が、いわゆる古典的な書道から抜け出せていなかった、既視感があった、ということもあるだろうし、もしかしたら、日本の「書道」というジャンルが、そもそも浸透していないということもあるかもしれません。

MoMAの書籍売場にあった主な日本関連の書籍は、水墨画と草間彌生の生涯を描いた絵本で、インクアート関連の書籍は中国のもの。まずは、こういう場所に、日本の書道関連書籍が置かれるようにならなければならないのだろうなぁ…道のりは長し…と思いました。

という落胆もあったのですが、現地の日系の情報紙「週刊NY生活」に、作品が掲載されたのは本当に嬉しかったです!(記事はこちらをご参照)

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現地で活躍している方々から、ニューヨークのアートシーンについてもお話を伺うことが出来ましたが、ファッションの流行の移り変わりと同じように、作品のジャンルや展示方法に至るまでトレンドがあり、年単位でめまぐるしく移り変わるのだとか。

私たちが、その流行にあえて寄せていく必要はないと思っていますが、トレンドを知り、市場のニーズに対応する力を身に付けることは必要だろうなぁと思いました。

…と色々考えていたら、技術を磨くことと引き出しを増やすことは当たり前に出来た上で、仕事で必要なのは、

・目まぐるしく変わる市場のトレンドを知ること
・お客さんが何を求めているかを客観的に見ること
・自分も相手も面白がれるようなものを作れるバランス感覚を養うこと
・とは言え、生き様が見えるものでなければならない

…のだなぁと。何を生業にしていても、基本みんな一緒じゃん!

あと、これは万人向けではないかもしれないけど、水に例えると、喉ごし良く飲みやすい「ヴォルヴィック」よりも、喉にちょっとひっかかるけどクセのある「コントレックス」みたいな感じで、万人に好かれるわけではないけど、クセが強くて気になるもの…というのは表現にも必要なのだと痛感しました。

表現は自由なものではあるけれど、単純に好きなことだけをやるのは自己満足で終わってしまう
アートは売り手と買い手がいて成立するものなので、当然、表現するにあたっては謙虚さや客観性も必要

だと思っています。

今までのような「家に気軽に置いてもらえるようなインテリア書」も継続していきますが、ギャラリストやコレクターの目に留まり、日本代表として海外に羽ばたける作品を作って行こう!と誓った、2018年初頭でした。

…と、本当に大満足な3日間でしたが、正直疲れました(笑)今度ニューヨークに行く機会があったら、もうちょっとゆっくり過ごしたいなぁ…。

【ニューヨークひとり旅~ほぼ弾丸旅行記】その1はこちら

一番大事なレセプションに行く途中に地下鉄を乗り間違え、乗り換える途中の階段でルートを再検索しようとバッグを開けたらスマホを落とし→それが誰かにあっという間に拾われ(盗られ?)→私、オワタ!顔面蒼白…という事案が発生しました。
結局、スマホは改札に届けられており、手元に戻ってきたので事なきを得たのですが、今回のひとり旅の道中、検索、マップ、翻訳などのGoogleの各先生方に、おんぶにだっこでお世話になりっぱなしだったので、スマホが無かったら何も出来ない状態に(汗)
超基本的なことですが、大事な場所や予約番号などはメモ書きしておくことをオススメします。アナログも大事(切実)

【ニューヨークひとり旅~ほぼ弾丸旅行記 その1】やっぱり私は「ライブ」が好き!

海外のひとり旅は一昨年のバルセロナに続いて2回目。
今回は、海外初出品となった、ニューヨークを拠点に活動している現代アーティストチーム「JCAT」のグループ展のレセプションへ参加する目的で渡米しました。

滞在期間が丸3日しかなかった為、今回は、自由の女神も遠くからチラ見、エンパイアステートビルから見る夜景も諦め、日中は地下鉄を駆使しつつも、ひたすら街を歩きまくり。メトロポリタン美術館やMoMAなどの王道をはじめ、ギャラリーや美術館巡りをしていました。

訪れた美術館やギャラリーの中で、私のお気に入りは、


・メトロポリタン美術館の分館 ザ・メット・ブロイヤー(The Met Breuer)

ホイットニー美術館

どちらも現代アートが中心の展示。ゆったりした空間の中に、絵画だけではなく、映像やサウンドとの融合作品などもあり、幅広いジャンルの作品が展示されています。一つ一つの作品をじっくりと見ることが出来るので、ジャンルの振り幅の広さに頭がついて行かない…ということがなく、とても心地良く鑑賞できました。

現代アート初心者の私にとって「なんじゃこりゃ!」「よく分からん!」という作品が多い中、眉間にシワが寄るような分かりにくさではなく、「どうしてこういうの作ったんだろう?」という作者への興味をそそられる作品が多くて、自然と前のめりな気持ちで見られたのが良かったなぁ。

 

また、王道の作品が見られるギャラリーとして良かったのは、チェルシーにあるTaglialatella Galleries
気軽に入れる雰囲気のあるギャラリーで、アンディ・ウォーホルやバスキア、キースヘリングなどの作品が一気に見られたのは贅沢の極み!ゲームキャラクターをモチーフにしたINVADERの作品も、私たち世代には親しみやすかったです。

夜は、ライブ好きな血が騒ぎ、「The Killers」のライブと、ブロードウェイで「ライオンキング」を鑑賞しました。

The Killersのライブが開催されたのは、ブルックリンにある「バークレーセンター」という、日本で言うと「横浜アリーナ<さいたまスーパーアリーナ」くらいの広さの会場。

「ライブ前にビールを買う」というルーチン作業をこなしているうちに、

「あれ、ここ横アリ?」

と錯覚してしまいそうでしたが、ボーカルのBrandonが素敵すぎたのはもちろん、初期曲が大好きだった私にとっては、会場で盛り上がる曲と私の好みの曲が一緒で、

「何だー、Youたち好きなの一緒じゃーん!」

という安心感を持ちながら鑑賞。今のところ、来日する雰囲気が無いのが残念ですが、ニューヨーカーと好きな曲のツボが同じだった喜びでにんまりしながら帰路に着きました。

「ライオンキング」は、予めストーリーをふんわり把握していたので、英語が分からなくても堪能できました。動物の繊細な動きと素晴らしい歌声、オーケストラの生音の醍醐味、一つ一つのクオリティの高さたるや!初ブロードウェイをライオンキングにして良かったです。

そして、驚いたのが、ブロードウェイの街の賑わい。

毎日夜8時にわらわらと人が集まり、どこの劇場もほぼ満杯に埋まるという環境。ライブハウスやバーでやっているライブやコメディショーは、夜10時過ぎにやっていることも多いので、何なら、ミュージカルが終わってからのハシゴも出来る!生でエンターテインメントを楽しむことが日常に浸透している土壌というか、素地がそもそも違うことに圧倒されました。

 

NY滞在最終日は、いよいよグループ展のレセプションへ。感想等々はこちら

【2018年の書き初め】これって変じゃね?と思っても、面白そうだったらやってみる

松の内ギリギリですが…あけましておめでとうございます。

毎年、1月2日は「書き初め」の日と言われていますが、遅ればせながら、今年の漢字を書いてみました。

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【変】です。

なぜこの字にしたか…。
「今年から、私、変わります!」とかいう爽やかな宣言などではなく、(この仕事を始めてから、日々の変化が激しくてスリル満載なので、改めて宣言するほどの気持ちは今は全くない)どっちかって言うと、

・一見すると「変じゃね?」と周囲から思われそうなことを、真剣に考えてやってみる
・自分で「これって変かも?」と一瞬頭をよぎっても、思いついてしまったらとりあえずやってみる
・今まで当たり前だと思っていたことを疑ってみて、たまに変化球を投げてみる

というイメージです。

「様々な形で多くの人が書を楽しめるような場作りをしたい」という気持ちはずっとあるので、レッスンや講座も今まで以上に活発にやっていくのはもちろんなのですが、昨年の秋から勉強を始めている、現代アートとしての書道の可能性について、今までの書道には無かった表現をどうやって作り上げていくか?という課題とがっぷり四つで組み始める元年となりそうです。

今までに無かった表現と言っても、自分の表現は自分の中からしか出せない訳で、無いものをこねくり回して表に出したところで、その表現は枯渇してしまう。

夏休みの宿題の絵日記のネタを探しのために買い物や旅行に行く、という行為は、パッと見のネタとしては華やかではあるけれど、内容の奥深さに欠けてしまい、ネタが長続きしないのと同じことです。(…ということを、小学校の頃に母親から良く言われていて、目時家の恥部を晒す作文を度々書いていたのを思い出しました…。)

「大したことない」と、つい蔑ろにしてしまいがちな気持ちや出来事に改めて着目すること
その気持ちや出来事を、素直に自分の表現として昇華させること

は特に意識して生活していこうと思います。

とは言え、評価されて(=作品として売れて)なんぼの世界なので、内容がひとりよがりにならないように、客観的に見てもらえる機会を増やしていきたいと思います。個展は出来るかどうか分からないですが、SNSなどでの露出はもっと増やしていこうかと。

後で振り返ったときに、来年からの日本じゃないけど、目時白珠年表の中で、年号が変わるくらいのターニングポイントになっていたら嬉しい。

まずは、来週行くニューヨーク。JCATグループ展「JCAT SHOWCASE 2018 IN Tribeca New York」のレセプションへの出席がメインですが、その他は美術館とギャラリーを時間の許す限り巡る予定。
表現のヒントの宝庫、現代アートの数々を吸収しに行ってきます!