「あ、どうも。お久しぶりです。お元気そうで何より。」

というのが、ここ数年、私が福山雅治のライブを見に行く時の感覚。

うわーっ!とテンションが一気に上がるという感じがあまりなくて、何というか、お盆や年末年始に家族や親戚に会うような気分になるのです。

こんなことを言うと本当におこがましいと思うけど、ライブは、顔を見て安心するというか、お互い元気で良かったですね(どこから目線だ…)みたいな現在地確認の場。

 

ファンになったのはデビュー2年目。初めてライブを見に行ったのは私が高校2年生の時でした。

当時は、カッコいいシュっとした顔に似合わず、世の中への不満の塊を無骨でやさぐれた感じに表現するところに惹かれていました。青春時代は、私もどこかやさぐれてたんだろうね…。

加えて、みずがめ座O型!中学校の時は吹奏楽部でホルン担当!サインやコメントで度々使われる筆文字!…私と一緒じゃん!と、勝手にシンパシーを感じるイタいファンでもありました(苦笑)

 

そりゃあ、10代20代の頃は、ライブでも「ましゃーっ!」と叫んだり、飛んだり跳ねたりしながら見ておりましたよ。ええ。

でも、あれから時は流れて、今ではライブの時に、「ましゃーっ!」と叫んだり、歌に合わせてピョンピョン飛び跳ねることもすっかりなくなり、腕を組みながら、ジーッとステージを眺めることが増えました。デビューから年月が経つと、ファンも老若男女幅広く、年長者に優しい対応なので、遠慮なくずっと座って見たりして。

 

先日、5月27日にも、ドームツアー『FUKUYAMA MASAHARU DOME LIVE 2018 -暗闇の中で飛べ-』の最終日で、東京ドームに行ってきたのですが。

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世の中で騒がれた「ましゃロス」も越えて、涙を目に溜めながら「道標」をジーッと聴いていた時に、何で私は福山雅治のライブを見続けてるんだろうなぁ…と、唐突に思ったのが、このブログを書こうと思ったきっかけでした。

(そう、元々私は全くロスってはいなかったけど、報道が出た時は、メールは来るわ電話は来るわ、あまりにショックを受けすぎているのではないか…と、私に直接ではなく近しい友人に連絡してくるとか…とにかく周囲の反応がすごかったw)

 

好きな音楽は、色々と惹かれる理由はあると思うのだけど、私にとっては、やっぱり、

「自分の今の心情に近いものをどれだけ映し出しているか」
「歌詞に歌われる登場人物と自分との距離感」

というのが、大きなポイントだと思っていて。

こればっかりは私の性格なのでしょうがないんだけど、

無条件に「大丈夫!」とか「輝いて!」とか、
「そのままのあなたがいいんだよ」とか「キラキラしているあなたが好き」とか、

どストレートに歌詞で語られるのが、あまり性に合わず…。

そういう心持ちが、生きていく上でとても大事なのだと分かっていても、「大丈夫」だったり「キラキラ」する過程に辿り着くまでには、

「『そのまま』でいい訳がないだろうが!」
「髪振り乱して血ヘド吐きながら踏ん張ることだってあるだろうが!」

とか思ってしまうので、ノーガード状態でいきなり全力ポジティブ砲がドーンと飛んでくると、

「ちょっと待って、私、そこまで大丈夫とか思ってないし…」

と、つい拒否反応を示してしまったり、

「こっちの世界、超楽しいからさ、早く来いよ!」

と言われても、

「いや、あの…自分のペースでもう少しゆっくり進ませてくれませんか?…ていうか、あなた、ずんずん先に進み過ぎてて見えないし…」とか思ったりするのです。(このあまのじゃくな感じは、自分でも何とかした方が良いと思っている課題。)

 

その点、福山さんの歌には、

「うんうん、分かるよ。そうだよね。人間、生きてりゃ大変なことも沢山あるけどさ、色んなことやってみたら、プラスとマイナスのツジツマはいずれ合ってくるものなんだよ、きっと。」

という空気感が根底に流れているような気がしています。最終的にはポジティブに持って行くんだけど、こっちの面倒くさい話もちゃんと聞いてくれていて、足並みを揃えて一緒に歩いてくれる感じ。若しくはそっと見守っている感じ。

とにかく、歌詞で歌われる内容が、自分の人生の一場面とシンクロする率がすごく高い。

共感力の高さというか、これ、カウンセリングだったら、究極の傾聴スキルの高さなんじゃないかと思うくらい。

それだけ、歌詞が自分の人生とシンクロする率が高くなるのは「解釈の幅を広く持たせることが出来る」という意味で、作詞の技量が素晴らしいということなんだろうなぁと。

 

ライブでは、スター然とした振る舞いの中にも、アニキ的な頼もしさや、デビュー当時から変わらない「ギター好きの少年」の姿、本人は、地位も名声も欲しいものは何だって手に入れている天上人だろうに(と私は思っているのだけど)、全く嫌味無く、ふらっと地上に降りてくる謙虚さ…様々な表情を見せてくれるのも大きな魅力。

 

楽曲に関しては、昔の曲も好きなものは沢山あるけれど、ここ数年、スターの地位を獲得したからこそ作れた曲が、振り切っていて面白い!という印象があります。

「I am a HERO」や「Pop Star」などでは、歌詞の中で、今の地位を嘲笑ったりしているけれど、人気商売という、ある意味水物で浮き沈みの激しい業界に身を置いているからこそ、自分のことや自分を取り巻くメディアや有象無象を冷静且つ客観的に見ているのだろうなぁ…というのが手に取るように分かる。

「トモエ学園」や「零-ZERO-」は、「多様性を認めていこう」という今の時流を捉えたアプローチに対しても、決して声高になり過ぎることなく、そっと暖かく隣で見守るような優しさを感じる。

 

歌詞の内容やライブのパフォーマンス、雑誌等の媒体のインタビューなどを見ていると、彼が(たぶん)臆病で客観的で心配性だからこそ、「もっと、もっと」「まだ、まだ」という欲が常にあって、それが、今の地位に決して安住することなく常に挑戦し続ける原動力になっているのかなぁと。

私は、傾聴スキルの高い歌詞に共感しているだけではなくて、この、臆病で客観的で心配性なところにも共感していると言うか、自分にも、性格的にこういう部分があって、どこか

「こんな自分の性格も、悪くないのかも。」

と、安心しているのかもしれない。

年末には、恒例のライブも決まったことだし、

「あ、どうも。お久しぶりです。お元気そうで何より。良いお年を!」

と挨拶できるように、チケット運の神様に願いを託したいと思います。