今日で震災から7年。
あの震災をきっかけに価値観が180度ガラリと変わり、すぐに様々な行動を起こした人がたくさんいました。結婚した人もいれば(震災婚という言葉もありましたね)離婚した人もいたし、東北から離れて移住する人もいれば、逆に東北を元気にするために!と、UターンやIターンで起業した人も…。
私は、あの頃、震災を巡る様々な状況を見聞きしながらも、
「自分が後悔しない生き方をしてるかい?」
と、毎日どこかの誰かに問いかけられながら、ボディブローのようにブスブスと体を突かれているような日々でした。
自分の中で「どんがらがっしゃん」と何かの価値観が一気に崩れた訳ではなかったけれど、重たいヘドロのようなものに足元からジワリジワリと浸食されるというか、蝕まれていくような感覚。
仕事に関して言うと、当時会社員だった私は、書道を趣味でやっていたものの「おばあちゃんになってから、地元に帰ってのんびり、小さい子に教えたりしながら仕事としてやれたら幸せね…」なんて呑気に構えていました。
あれから7年経っての現在地がここだなんて、当時は全く想像していなかった。
でも、震災以降、「会社の中の自分」という枠を取っ払ったときにでも「これが私です!」と、名刺代わりに自信を持って差し出せるものって何も無いかもしれない…という焦りのようなものは感じていました。自分の存在価値が欲しかったと言ってしまえばそれまでですが。
私にとって、書道は手放しで「大好きっ!」と言えるような類のものではなく、「出来なくて悔しい!」「何とか出来るようになりたい!」という気持ちで続けてきたこと。
いや、好きであることには変わりはないのだけど、キラキラした感じではないんだよなぁ。どうしても泥臭さが付きまとう。
書道を仕事にしよう!というのも、ほぼ直感的に決めたものではあるけれど、今思うと、書道を通じて培った「自分の成長の証」や「自分の価値」を提供して、人の役に立ちたい、という思いが日に日に強まった結果なのかもしれません。
書道を仕事にすることを、まだ先のことだと呑気に構えていたあの頃からすると、本当に仕事になった時期はだいぶ早まったけど、
「自分が後悔しない生き方をしてるかい?」
というボディブローは減り、足元にへばりついていたヘドロも綺麗になってきたような気がします。だいぶ心はスッキリ。
その代わり。日々作品や筆文字を書いていると、
「お前の実力はそれほどのもんか!」
「まだまだ書けるんじゃないんかぁ?こらぁ!」
と、もう一人の自分なのか妄想なのか、何なのかもはや分かりませんが、ボディブローというよりは豪快にアッパーカットを決められて、「あー、ごめんなさいっ!」てなることは、それはもう多々あります。早い話がダメ出し。
(この状態を放ったままにしておくと、ただの自己嫌悪の塊になるので、書き終えた後は、今日も一日頑張って書いた!と自分を褒めることにしていますw)
何かに追われたり浸食されたりするような心理状況は、基本的にはあまり変わっていないけれど、目指すものが明確になったという点では、あの頃とはステージが変わったというか、一皮向けたのだろうと前向きに捉えています。
仕事は、需要と供給で成り立つものですから、私の場合、私が書いた字やメソッドなどに、何らかの価値を感じてくださっている方がいるからこそ仕事として成立できています。今の環境やタイミングも含めて、本当にありがたいことです。
近江商人の「三方よし」みたいに、せっかく出会ったご縁なのだから、自分も相手も社会全体も、何やかんや大変なことがあっても、お互いが上手く循環して、最終的にはお互いが笑顔で仕事が終われた方が良いに決まってる。
その良い循環を生む為には、日々自分の価値をどんどん上げて行かなければと思います。
これからは、自分が好きなことや面白いなぁと思う業界で、自分の価値が生かせて、「自分が役に立てること×自分が好きなこと」の掛け合わせで仕事が出来たら最高!様々な形で、私の字がお役に立てたら、この上なく嬉しいです。
【互(reciprocal)】