ロックTも着物も「ストーリー」を着ている

あるファッションライターが書いた、「40代が似合わないTシャツはコレ!失敗しがちな真夏の痛カジュアル5選」という記事で、痛カジュアルの代表選手として「ロックT」が挙げられていたことで、記事が炎上しました。
(今なら「ロックT 40代」で検索すると、まとめサイトや炎上の顛末も色々と見られます)

ロックTもそれなりの数持っていて(今もじわりと増えている)着用することもある40代の私は、まさにこの記事にあるモデルの当事者。

記事を良く読むと、ロックを聴いたりバンドのファンでいることが悪いことではないという説明があるものの、「上品さや清潔感とは対極の位置にある」「10代~20代前半までしか許されない」「精神的に大人になりきれていない」といった、Tシャツを通して論じられるロックに対するイメージがステレオタイプすぎて、嘆息したのでした…。

とか書くと、冷静に分析しているように見えるけど、記事を読んで「何を!?」と少しピリッとした…いや、「ロックってぇのはそんな薄っぺらいもんじゃないんじゃ!好きなものを堂々と着て何が悪いんじゃ!%$&#(‘&|¥)」と、頭に血がのぼったのは事実。大人気ないです。すみません。

 

ちょっと話は変わって。

先日、実家に帰省していた時に、私が着物を度々着ているという話を耳にした母の友達から、帯をいただきました。

着物,帯

母のお友達からは、それぞれの帯を買った時のエピソードを伺ったり、母を交えて「昔は『裸にも帯』という言葉があった」という話、昭和40年代~50年代にかけて流行った絵羽織の話、嫁入りの時に仕立てた着物の話など、様々な話を聞くことが出来ました。

いつも、このような話を伺っていて良かったなぁと思うのは、着物に対する自分だけのストーリーが持てるということ。着物を着て仕事をする時に、着物のエピソードを周囲の人に語れたり、着物を着る=持ち主の思いを含めて身にまとっているという感覚は、既製品の服ではなかなか味わえないものです。

なぜこの話をしたのかと言うと、ロックTを着ている人と、縁のある人から譲っていただいた着物を着ている人は、どちらも

「ストーリー(想い)を着ている」

という点で共通していると感じたから。

私も、ファストファッションの服にも大変お世話になっていますが、これらの服でどれだけエピソードを語れるかというと、私はロックTや着物ほどは語れない。せめて、今年流行っているとか、好きな色だからとか、どこで買ったとか、値段が高い安いとか…同じ服を持っている人が共通して語れるエピソードが大半です。

ロックTは、それこそバンドに対する思いはもちろん、買った時のTシャツを見ると「あー、このツアーの時はあんなことがあったなぁ」というエピソードを思い出したり、単純にロックTを着ていると気分が上がるとか、好きな曲が頭で鳴るいう人も多いんじゃないでしょうか?

あとは、フェスなどに行くと、バンドTを着ていると「名刺代わり」にもなるという意味では、責任感もある。(「あのバンドTを着ているファンのマナーが悪い=そのバンドのイメージが悪くなる」ということも往々にあったりするので…。)

実はこの辺りの気の持ち方は、着物を着る時も結構共通していたりします。

着物には、先述したように、元の持ち主の人のエピソードや想いも含めて着ることもあります。亡くなった祖母の着物だったりすると「おばあちゃんも喜んでいるだろうか?」と想いを馳せるだけではなく、その思いを今に受け継ぐ責任感に似たようなものを感じることもあります。

Twitter界隈を中心にこの記事が炎上したのは、ロックTの見た目云々の話だけではなく、ロックに対する想いを侮辱されてたまるかっ!という要素も多かったんじゃないかと勝手に思っています。(実際に、私もこのネタで一つブログ書いちゃってるし。)

ただ、この記事で擁護する点があるとすれば、良く巷でも言われる「年を経るにつれて、生き方や性格、品性が顔に出る」というのは確かにあると思っていて、40代にもなると、生き方や品性が着こなしに出るのはあるなぁと思っています。

4月に見かける新入社員のスーツ姿が「着られている」状態になっているのは、単純にサイズや見た目の新しさという問題だけではなく、新たな環境と、その時の自分が合致していないというのも大きくて、その環境を生きる心構えや生活に慣れるに従って、徐々に服も馴染んでくるものだと思っているのですが…。

生き方、性格なども含めて自分に自信が持てていないと、確かに、記事にあるように40代にロックTに限らず、着たいと思う服を着こなせなくなっていくのかもしれないなぁと。

自分が好きなものを自信を持って好きだと言えて、プラス、ロックが好きな人にとっては、ロックな心を持ち続けていられるか(!)が、ロックTを着こなすポイントなのかも。ロックTは見た目のインパクトがあるものも多いですから、ロックTのパワーに負けて「着られてしまわない」確固たる自分を持っていることが大事なのだろうなぁ。

私は70代とか80代に生きていたら、サラッとロックTを着こなしながら、筆持ってドッカーンと大きな字を書きまくっているおばあちゃんになっていたいなぁ。そんな書家がいたら面白いしカッコいい(笑)そのためには、心技体を鍛えて日々精進です。

明けない夜はないのは分かっているが、夜明け前が長すぎる

「こんな雰囲気でお願いします」というオーダーをいただいて制作する筆文字ロゴと、展覧会や審査に向けた作品とでは、同じ「字を書く」作業でも、使う筋肉が全然違う。

今やっているのは後者。作品を書くのは、自分の感情を紙にぶつける作業だけど、私のように、昔から、

「まずは相手ありきで、人の話を聞いてから、最適解を見つける」

というのを基本として生きてきた人間にとっては、相手と自分に流れる空気の良さが大事で(ぎゃんぎゃん大声でやり合うのとかほんとに苦手)、自分の感情を出すことを忘れがちになるので、この作業がすこぶる苦手だ。

実は自分の中の10%くらいしか出せてないんじゃないか…と思うこともある。

それだけ、今まで自分の感情を蔑ろにしてきたのかもしれないなぁ(遠い目)。 

今、作品作りに取り組んでいるテーマは、言葉も全体の雰囲気も、とんでもなく暗い。

SNSなどで見かけるキラキラポジティブな雰囲気などくそくらえ…くらいのネガティブさ(笑)

筆文字,現代アート,書道

キッチンのシンクはキレイに洗ったけど、排水溝の奥を見ると、こんなところにヘドロがたっぷりと…という感じ。

感情を押し込めるのをやめる作業なので、書いていて変な汗をかく。

どれだけ自分は感情をこじらせてるんだ…と思うけど、こればかりは後戻り出来るわけでもないから、仕方がない。

ヘドロがキレイになって詰まりも取れたら、次のステージに行けるんだろう…と思って書き続けるのみ。

そろそろ光が見たいなぁ…。(←作品を完成させたい、切実。)