先日、急に、何故だか全く分からないのですが、
「神奈月がマネする武藤敬司って、実物と比べると似てないけど(←失礼)やっぱり、似てるよなぁ…」
と、ぼんやり思っていたのです。

 

書道で必要な学習の一つが、臨書(りんしょ)
日本や中国の古くから伝わる古典を真似て書くことですが、多くの著名な書家が、同じ古典を臨書した作品を見てみると「本当に同じ古典を見たのかしら?」と思うくらい、見た目が全く違ったりします。

でも、やっぱり似ているんですよね。それは、
筆遣いや字形はもちろんのこと、時代背景や人物像等々、あらゆる面から作品を学んでいるから。
 

書家によって、

作品や人柄のどこを見ているか?
自分がどこにシンクロしているのか?

の違いが、見た目の違いとなって、様々な表現が生まれるのだと思います。

 

で、さっきの神奈月…というかモノマネの話に戻ると、例えば「森進一」のマネする人は数あれど、様々な面から研究しつくした上で、シンクロする場所が違うから、

色々と似過ぎて、感動の域に達するような芸をする人もいれば(コージー冨田、青木隆治タイプ)
自分なりのエッセンスを入れて、面白さを追求する人もいます(コロッケ、神奈月タイプ)

どんな振り幅があっても、本人への尊敬の念や大好きという気持ちが伝わってくるのは、見ていても面白いし大好きです。

・相手を様々な面から研究すること
・作品や人物へのリスペクト
・シンクロのしかたと表現のしかた

このような最低限のルールがあれば、表現のしかたは人それぞれでいいじゃない!という面で、臨書との共通点を感じたのでした。

 

今日は王羲之の「蘭亭序」の臨書をしています。


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「蘭亭序」は、曲水の宴で王羲之が酒に酔っていた時に書かれたもの(しかも本番ではなく草稿!)。もっとラフに肩のチカラを抜いて書くと、より近づけるのでは?と思います。