一昨日のことですが、ついに!初めてジュリーのコンサートに行ってきました。
今年初めの個展に向けての作品が全く書けず、激しく落ち込んでいた昨年暮れ。
軽い気持ちで、何年かぶりに「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」を聞いてみたところ、ぶわーーーっ!とアイデアが書き換えられて、一気に作品を仕上げることが出来たのです。
その時から、次のコンサートは、お礼参りとして絶対見に行こうと決めていたのですが、個展終了後も、動画サイトで夜な夜な過去の歌番組を貪るように見まくり、今のジュリーの活動をチェックするように。
その中でも目に飛び込んでくる記事や様々なコメントには、
・ビジュアル面の劣化
・歯に衣着せぬ様々な発言(政治的な内容やファンへの暴言?)
なども少なからずあったけど、そりゃあ、来年古稀を迎えるんだから、ビジュアルうんぬんは多少あるだろうし、人生長くなってくれば、モノ申したくなることだってあるだろうよ…とあまり気にすることなく、全ては実際にこの目で確かめよう!と、その日を待ったのです。
当日の東京国際フォーラム。キャパ5000人の会場は超満員。
5列目という神席で見たジュリーは、映像で見ていたあの頃のジュリーとある意味同じで、「前衛的」で「退廃的」な姿をそのまま体現していました。
一番驚いたのは、やはり圧倒的な声量と艶っぽい声色。ほとんどの曲を、往年のスター歌手にありがちな妙なアレンジを加えることもなく、当時の原曲のキーのままでシンプルに歌い上げる姿は、作詞作曲はじめ、楽曲に関わった様々な人々やファンへの敬意を感じる。
しかも、曲によっては、年齢を重ねてきたことで低音がすごく響いて、今の方が断然渋みが増していて聴きやすいんじゃないか!?という曲もあり、驚くばかり。
歌って飛んでステージを右へ左へ駆けずり回っても、コンサート後半に向けて声量がどんどん増していくように聞こえて来るんだから、どんな力を秘めているんだ、ジュリーは…。
1曲1番のみを50曲歌うというめまぐるしく変わるセトリの中でも、1曲1曲を全身全霊で、曲の中の世界観・物語を演じきる姿にはすっかり見入ってしまい、まばたきするのが惜しいくらいでした、マジで。
MCは歯に衣着せぬ発言は全くなく(←期待してた訳ではないけど 笑)1曲歌う度に「ありがとう!サンキュー!ありがとうねー!」をただ謙虚に繰り返す。
「こんな姿になってしまいました。あなたもです。」という、ジュリーの挨拶で笑いと拍手が起こり、ほっこりした雰囲気に包まれる会場、ジュリーとファンとの長い歴史と絆を感じ、新参者はそれだけでウルウルしたのです。
時代に流されず、過去の栄光にすがりつくこともファンに迎合することもせず、歌い続けることで今の音楽シーンや社会に真っ向からNOを突きつける「前衛的」な部分と、見た目にも老いにも抵抗せず、淡々と今の自分を愚直に見せ続ける、ミュージシャンの年の重ね方の一つとしての「退廃美」。
自叙伝「我が名は、ジュリー」を読んだ時にも思ったのだけど、たぶん、歌やビジュアル面で「前衛的」とか「退廃美」と良く言われていたあの頃と、ジュリーは一貫して全く変わっていないんじゃないかと。
シンプルに真っ向勝負だからこそのカッコ良さ、時の過ぎ行くままにこの身をまかせている生き様ひっくるめて、ファンを魅了し続けているのだろうなぁと。
そんなことを思いながら、ますますジュリーの虜になってしまったのでした。今では「ジュリィィーーッ!」と樹木希林が身もだえする気持ちもよーーく分かる(笑)
アフターは、あの曲を思い出しながら、もちろんワインで!